2020年9月10日
朝、スプラトゥーンのガチマッチをやる娘を横で応援。負けた娘が、味方のホコ運びのルートが悪かったから負けたと怒ってるので、「負けた時に味方のせいにしてたら、上手くならないよ。その前に、スペシャル溜めるのが間に合わなくてカウントリードされてたじゃん。あそこで前線復帰のタイミングが遅れなければ勝ってたかもよ」みたいな説教をして、娘にウザがられる、
(ウザがられたのでそれ以上は続けなかったけど、心の中で続ける)娘よ、負けたときこそ、冷静に敗因を分析するんだ。ゲームプランが悪かったのか、そのエクゼキューションが不正確だったのか、それともスキルの差で負けたのか。全部読んでないけど、「孫子」にもどうせそんなことが書いてある。ベリチックもブレイディも、そうやって勝ち続けてきたんだ。そして。娘よ。うまくいってない部分の分析とアジャストを、バトル中にできるようになればそれが最強だ。
・・・みたいなことを考えながら通勤。そもそも娘の方がスプラはうまいんだけど。あれか。「俺がQBやれば勝てるおじさん」か。
帰宅途上と、帰宅後にNBA観戦。セルティックス対ラプターズ。両チーム、「マジメにキビキビと動き回って、チーム全員で勝つ」みたいな印象。それにしても、「第6戦。それまで2勝3敗で、負ければ敗退決定のラプターズが、ダブルOTの末に勝利」だってよ。さすがに興奮するじゃねーか。(僕はペイトリオッツと同じボストンつながりで、どちらかというとセルティックスを応援してたんだけど)
それにしても、NBAを見てると、何というか気が遠くなる。見ていて、もちろん面白いし夢中になれるんだけど、それでも、NFLを見てる時の感情の振れ幅の3分の1ぐらい。これは、「NFLの方が観戦するゲームとして面白い」っていうことを言いたいんじゃなくて、単に感情移入の度合いの違い。スポーツ観戦は、感情移入するほど面白い(感情移入すれば綱引きや玉入れでも面白いのか、と言われれば違うような気もするので、感情移入がすべてではないんだろうけど)。
で、じゃあ何でNFLを見る時に、尋常じゃない思い入れで見てるのか、我ながら理由が分からない、ということ。「正座して、息を止めるように見る」とか、「それを通り越して、もはや直視できない」とか。NBAを見てる時は、「ちょっとよく知らないけど、せっかく見るんだからこのAチームを応援することにしてみようかな」というようなテンションで見ていて、「わざと」「あえて」の「演技としての応援」なんだけど、そして、NFL観戦も最初はそんなようなテンションだったはずが、気づくと「ガチでリアル」な気持ちで、ひいきチームの試合を見てしまっている現実がある。もう、そうなったらそれは動かしようのない単なる現実であって、そうすると、「最初になんとなくBチームを応援し始めた僕」にはもうなれない。
何を言いたいんだか自分でもよく分からないけど、「人生は不可思議なものだなあ」と思って気が遠くなる瞬間が好きなのでしょうがない。
2020年9月11日朝
いよいよ開幕だ。ここ数年の中で、もっとも何も知らずに迎える開幕(ニュースを追うテンションがついに上がらなかった)。そして僕の短いファン歴の中で、はじめて「ブレイディ=ペイトリオッツ=本命の一角」という図式ではない開幕。今年はさすがに、タンパに加入したブレイディも、ニュートンの入ったペイトリオッツも本命ではないだろう。どんなテンションで試合を見られるのか、まだちょっと想像もつかない。
真剣勝負が見られるといいな。真剣勝負を成り立たせるには、「双方が対戦相手と、そのゲームをリスペクトしていて、お互いに勝ちたいと思ってること」「全力を尽くすためのルールや練習環境が整っていること」「安全性を最大限配慮し、それを信じられること」などの必要条件がある。どちらかが「負けてもいいや」と思ってたら真剣勝負にならない。ルールが不公平なら、それは勝負と呼べない。安全だと思えなければ、全力を尽くせない。
そして、真剣勝負が成り立つことが、相当難しいことなんだと、今年ほど思わされた年はない。雑な言い方だと承知で言えば、「スポーツどころじゃない」と、筋金入りのスポーツファンですら、ちょっとはそう思ってしまうような状況だ。
でも、だからこそ、今ほど「真剣勝負」が見たい時はない。アメリカのスポーツ選手が、よく「opportunity」という言葉を口にする。「機会が与えられたことに感謝する」というようなセリフ。あれ、「優等生的な決まり文句」なんじゃなくて、本当に正直な気持ちなんじゃないかな。トップの選手ほど、「出場できるチャンス」「勝利に挑めるチャンス」があることのありがたさを、身にしみて理解してるんじゃないか。
「opportunity」、あれよ。「チャンスが与えられていること、それをガチで奪い合うこと、そして、できるだけ公平に競い合うこと」は、希望そのものだ。「大げさに演出されたニセモノの希望」に騙されやすい、チョロい僕だけど、せめて、この世のどこかに、数パーセントでも、真剣勝負があってほしい。
NFL、開幕おめでとう。
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