突然始まる長い言い訳。なんで僕がこんな日記を書いてきたのか、っていう話。
僕がこのブログやツイッターのNFL用のアカウントを作ったのは一昨年のこと。それまでツイッターは「英語の勉強」みたいなつもりでオバマとか、レブロン・ジェームズとか、もちろんNFLの情報もフォローしてたけど、自分で何かツイートすることはなかったし、「誰かとつながろう」みたいな意識はなくて。
それどころか、正直言うとちょっとバカにしてた。昔、友達から聞いたツイッターのイメージは、「天空の城ラピュタ」が地上波で放送されると、シータとパズーに合わせてみんなで「バルス!!!!!」とつぶやく、とかそういうイメージ。「それ、何が楽しいの? 楽しいのかもしれないけど、知能指数下がりすぎてるでしょ」みたいに思ってた。
でも、実際自分がツイッターでツイートしたり、「相互フォロー」したりを始めてみると、「バルス!!!!」こそがむしろ一番楽しい、と思い始めた(一番楽しい、はちょっと大げさかもしれないけど)。
タッチダウンやインターセプトの度に「うわーーーーー」みたいな知能指数1桁の叫びがタイムラインに並んで、自分もそれに参加する。そこにある楽しさが、どういう種類の楽しさなのかはいまいちよく分からないけど、とにかく楽しい(それがまったく楽しくない日もあって、それはそれでほっとする)。
タイミングがずれたリアクションがあるのも面白い。僕はリアルタイムで試合が見られない場合は、むしろツイッターは開かずに「情報封鎖」をするんだけど、同じように「後追い組」の人が1日遅れで興奮や嘆きを吐き出してるのを目にすると、「いとをかし」と感慨がこみ上げる。
このツイッターでの感慨を思うときに、「カイジ」の「鉄骨渡り」を僕は思い出す。マンガ「カイジ」では、多額の借金を負った負債者たちが、「借金倍増or借金帳消し」を賭けてギャンブルをさせられる、という内容で、「鉄骨渡り」はその中のエピソードの1つ。
工事中の2つの高層ビルの間に渡された鉄骨(幅15センチほど?)を、高額負債者たちが命綱なしで渡り、渡りきれば賞金ゲット、という、福本伸行の才能が最大限発揮された「アホ設定」の話なんだけど(うろ覚えなので細部は間違ってるかもしれません)。
その中で、主人公のカイジが「この鉄骨渡りって、人生なんじゃね?」みたいな悟り(?)を得て、一緒に参加する他の負債者の人生と、自分の人生が、交錯するような走馬灯的な幻想を一瞬見るシーンがある。
「他人は、自分の鉄骨渡りに手を貸せない。自分は、他人の鉄骨渡りに手を貸せない。それぞれ、自分で渡りきるしかない。この、落ちたら確実に死ぬ鉄骨を、慎重に、しかしビビらずに少しずつ前進していくしかない。自分だけで、自分の鉄骨を渡れ。だけど、隣で誰かが、同じように鉄骨を渡ってる姿を見るのは、なんと勇気の湧いてくることか。それぞれ、自分の人生を生きろ。僕の人生と、君の人生は、関係ない。でも、関係ないんだけど、君が、君なりに、自分の人生を闘ってることは、僕からも見える。そして、それは、僕の力になる。だから、ひょっとして、僕が、僕の人生を闘ってることは、もしかしたら、君の力になるんじゃないか」…みたいな思いが、カイジに降りてくるシーン(すみません、うろ覚えなのでちょっと違うかもしれません)。
で、NFLを観戦するのも、この「鉄骨渡り」みたいなものじゃないか、と(←発想の飛躍)。それぞれのNFLファンが、それぞれの推しチームを、歯を食いしばりながら応援してる。なんで「NFL観戦」なんていう酔狂な趣味にたどり着いたのか。それぞれの事情は知らないけど、なんとなく人柄も分かってきたりして、どこか「同病相憐れむ」というようなシンパシーを感じてしまう。そんなことを、このブログと、ツイッターを始めてから、よく感じるようになった。
それで、今季のNFLの話。開幕が近づいても、僕のNFL観戦欲は盛り上がらなかった。
トム・ブレイディへのあこがれでペイトリオッツファンになった僕にとっては、今季のNFLは「未踏の地」だった。どんな気持ちで応援したらいいのか分からない。
そして、コロナの時代。ドラフトはリモートで行われ、プレシーズンはキャンセルされ、シーズンをオプトアウト(出場辞退)する選手の情報が伝わってくる。盛り上がるタイミングが分からなかった。
別に盛り上がらなくても、何も困ることはないはずなんだけど、このまま「NFLなんてどうでもいい」と、興味を失ってしまうのも怖かった。というか、自分勝手な自分だけの都合として、興味を失っちゃいけない、とも思った。
コロナ以来、僕の中でいろんな種類の恐怖が湧いた。自分や家族の命の恐怖。特に、もし自分が子どもに病気を感染させて、運悪く重症化して、子どもが死んでしまったら。ただ死ぬだけでなく、隔離されたまま、一度も抱きしめてやることもできずに、離れ離れで死んでしまったら。想像して魂が立ちくらみする。
倍々ゲームで感染が止まらず、医療崩壊してしまうんじゃないか、という社会への不安。失業の不安。世の中がギスギスして、通勤途中に何かの揉め事に巻き込まれるんじゃないか。もし僕が感染したら、会社や子どもの学校の関係から、「村八分」にされるんじゃないか。
そんな、いろんな恐怖が連続して湧きおこり、僕を疲弊させた。恐怖は、油断すると、僕の心に入ってきて。僕の心を支配する。無理やりに追い出そうとすると逆に膨らんだりする。僕は、「感染予防に真剣に取り組むこと」はもちろん大事だと思うけど、「恐怖で冷静さを失わないこと」も同じぐらい大事だと思う。感染症をナメてるのではなく、長期戦への覚悟として、「恐怖を膨らませすぎずに自分をコントロールすること」だって大事なのではないか。
マスクや手洗いの重要性を訴えるときに、「大事な人の命を危険に晒さないでください」という方向性での呼びかけをよく目にしたけど、僕はあんまり好きじゃない。なんで人の恐怖心に訴えて、人の行動を支配しようとするんだ。(個人的には、「感染症予防は自分だけの問題ではないのだから、1人ひとりの責任を真剣に受け止めましょう」などが妥当に思います)
僕はいろんな種類の恐怖をそれぞれ頭の中で書き出し、それぞれの対策を考えた(病気の予防についての対策も考えたけど、それよりも恐怖をどうするのか、という問題)。だいたいのことは、「怖い。でも、怖がるほどじゃない。そして、怖がっても意味がない。慎重になる、と怖がる、は別のもの」と思えるようになっていった。
その過程で、僕はいろんな情報から「何も感じないように」「過剰に考えすぎないように」と距離を置くようになった。そしてそのうちに、「魂がしょんぼり」してるような精神状態になった。これでは、恐怖に自分を明け渡してるのと同じだ。そんなタイミングで、NFLの開幕が近づいた。
それで、この日記を書くことを思いついた。僕の鉄骨渡りを、誰かに伝えよう。誰かがそれを見て、なぜか勇気づけられるかもしれない。実際に、そんな人がいるのかは大して問題じゃない。書くことは、僕にとってのセラピーだ。「この日記を読んでくれる誰か」を想像して書くと、どうしてだか自分が少しだけ勇気づけられる。
そんな思いで、開幕から日記を書いてきた。なので、ここでは僕の生活を、なりふり構わずにさらすことになった。(こんなどうでもいい日記に、つきあってくださった皆さま、ありがとうございました)
大変幸運なことに、今季もNFLを楽しむことができた。ペイトリオッツにはプレーオフ進出の可能性はまだ残っているので、僕のNFL観戦はまだまだ続くんだけど、日記を書くのは飽きたのでここでおしまいにしたい。8月の頃と比べると、僕の精神状態はかなり人間らしくなってきた。
今季のペイトリオッツには、僕個人としては失望するどころか惚れ直してる(これは意外だった)。戦力大幅ダウンだからこそ、チーム作りや試合運びで、「できることを積み重ねて勝てる可能性を少しでもあげる」というペイトリオッツらしさを手放さなかったことにグッときた。
もちろん、それで実際に勝てるほど甘くないところも、NFLの面白さ。week14のラムズ戦は、「負けるべくして負けた」という感じだった。選手個人の力、攻守のゲームプラン、その遂行。どれも上回られた(その差が「プロとしては大差」なのか、「ほんのちょっとの偶然で入れ替わる僅差」なのかは僕には分からないけど)。
僕はNFLに限らず「本命」びいきで、NBAならレブロン・ジェームズ、将棋なら羽生さんを応援する。それは、「勝つべき人が勝つと安心する」「予想通りのことが現実になると気持ちがいい」という本能的な快感だと思う。偉大なものが、偉大であり続けると、深く畏怖の念を抱いてしまう。
でも、たとえば羽生さんがいくら偉大でも、それよりも「将棋そのもの」とか「時の流れ」の方が偉大なのだ。羽生さんが30年も容赦なく勝ってきたのと同じ残酷さで、ペイトリオッツが20年勝ってきたのと同じ残酷さで、敗れていくのは、「真剣勝負」の美しい偉大さじゃないか。
NFL、ありがとう。勇気をもらいました。もう日記を書かないでも僕のメンタルは大丈夫っぽいので、この日記はおしまいにします。少なくとも来週までは、ペイトリオッツのプレーオフ進出の可能性は消えないだろうし、ブレイディのバッカニアーズは「ひょっとしてここからギアを上げるのかも」という雰囲気もあるから、最後まで楽しませてもらうよ。
(蛇足)
week13で、ワシントンがスティーラーズにかった試合を見て、アレックス・スミスの復活について書いたツイートを貼りつけておきます。他に残すところもないので。
「アレックス・スミスの数奇な運命」映画化あるなこれ
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 8, 2020
「アレックス・スミスの数奇な運命」企画書
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 8, 2020
キャパニックに先発交代
マホームズに先発交代
ケガからの奇跡の復帰
負け越しながらも地区優勝からのSB進出
そして…?
冒頭シーンはたぶんこんなの。
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
リハビリ室に車イスで入ってくる口の悪い老人とそれを出迎えるトレーナーの会話。
「またあんたか」
「スミスです」
「顔だけじゃなくて、名前も平凡だな」
「(ほほえんで)今日もお元気そうですね」
「憎まれ口で元気が出るなら、俺はとっくにマスターズで優勝してるよ」
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
「はは、でもひょっとしたら、憎まれ口が足りないのかも。今日も頑張りましょう。きっとまたゴルフが楽しめます」
かなりツラそうなリハビリを始める老人。トレーナーの胸には「Smith」の名札。40代後半で、しっかりした体格。
音を上げてその場に倒れこむ老人。
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
「もうムリだ。もう1ミリも動かないぞ」
「少し休んだら、あと2セットやりましょう」
「あんた、老人に厳しすぎる」
「いえ、諦めない人を信じてるだけです」
「ウチの孫みたいなことを言うんだな」
「お孫さん、フットボールのQBだって聞きました」
何とかイスに座り直す老人。
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
「俺はフットボールには興味ないんだが、息子の嫁がな、フットボール狂なんだ。孫には英才教育で赤ん坊の頃からボールにさわらせて、ハイスクールで先発QBになった」
「大したものです」
「なに、弱小校だよ」
「それでも先発QBにはなかなかなれない」
「ところが、フレッシュマンに先発を奪われちまった」
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
「それはそれは」
「ちょっとケガで休んでる間に、後輩QBが考えられんほどの活躍をしたんだと」
皮肉そうに微笑むトレーナーのスミス。
「俺は口が悪いから、孫に向かって、“そんなものやめちまえ”って言ったんだ」
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
「本気じゃないんでしょう?」
「ああ、孫に言われたよ。“諦めない男になれって、母さんが僕の名前をつけたの知ってるだろ?”って」
「お孫さんの名前は?」
— 鯖缶@NFL三昧 (@savacanNFL) December 11, 2020
「アレックス」
軽くため息をつくトレーナーのスミス。
「奇遇ですね。僕と同じ名前です」
スミスを見上げる老人。
「あんた、よく見るとイケメンだな」
音楽が止まり、タイトルが出る。
「アレックス・スミスの数奇な運命」
(蛇足2)
以上です。ありがとうございました!
ちなみに、「最終回」というのは、この「NFL観戦日記2020」が最終回ということであって、何らかの形でブログは続けるつもりです。よろしくお願いします!
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