11月15日(火) ちょっとしたことでウジウジしやすい
試しに目覚ましかけずにぐっすり寝てみよう、と。睡眠不足を解消して頭をスッキリさせたい(普段から、睡眠時間はまあまあ確保はできてるんだけど、目の疲れはたまってる気がするので)。結局5時半には目が覚めて。あんまりスッキリはしなかった気がする。
起きてすぐ検温。37.0℃か。ここで僕は、軽く舌打ちをするんである。会社のレギュレーションが、「ワクチン接種後48時間以内に37.5℃以上の発熱があった場合、熱が収まってから1日経過まで自宅待機」となっていて、その場合自分の有給休暇を消費しなくても有給で休める。なので「ダルくない程度の熱が出ればいいな」と、行事を休みたい小学生みたいなことをなんとなく考えてたんだけど(実は、昨日から何度も検温してるんだけど、ずっと37.0℃をキープしてて)。
ここで、ちょっとモヤっとするのは、この発熱は「自己申告」なんである。だから、会社に電話して「発熱があるので、様子を見てます。明日は自宅待機ですよね」と言ってしまえば、僕は会社を休めるはずなんだけど、それが、できそうでできないんである。
僕は、「基準があいまいなルール」については、「そんなの、自分が一番有利になるように解釈したらいいじゃん」と思う方なんだけど、この、「自己申告に基づいて認める」は何なんだ、と。ウソをついたらそれを通しちゃうのか、と。
で、ウソをつくかどうかでウジウジと悩んでしまって。悩んでしまう、ということは、まあまあ「ウソついちゃおうかな」とも思ってるわけで。「ウソをつかないというのは、言わば”かっこつけ”だろ。自分の美学みたいな甘っちょろいことを理由に、自分の有利になるはずの行動を取れないのは弱いでしょ。お前には家族がいるんだぞ。図々しくなれよ。隙のあるルールが悪いんだ。容赦するな」みたいなことをグルグルと考える(何とか自分を奮い立たせてズルをしようとしてるのかよ)。
でも結局はウソをつくのはやめた。「自分に有利になるようにウソをつくことも人生だろうけど、ついたウソは墓まで持っていけよ」みたいなことを思っていて。僕がウジウジと迷った過程を、この日記に書くためには「ウジウジ迷ったけど結局ウソはつかなかった」じゃないといけない、という基準で。
神でもなく、道徳でもなく、倫理でもプライドでも哲学でもなく。「日記に書けるか」を基準に行動を選択していくのか。かなりアホらしいな。でも、意外とイメージしやすい基準なような気もする。僕が職場で誰かをイジってたとして。この日記に書けるような(不特定の誰かに話せるような、未来の自分への手紙に入れられるような)イジり方だったら「アリ」、そうじゃなかったら「ナシ」、とか。
マンデーナイトのコマンダーズ対イーグルスをリアルタイム観戦。ペイトリオッツにもバッカニアーズにもあまり影響ない試合だったけど、日記を書きながらのんびり観戦したら面白かった。
試合の決着はイーグルスのラフィングザパサー。サードダウンで、パスの出しどころが見つからなかったハイニキが自らひざをついたところに、イーグルスのブランドン・グラハムが飛びついてしまった。もしファウルでなければ5点ビハインドのイーグルスが「残り1分30秒タイムアウトなしでの逆転チャンス」を得るというアメフトで一番面白いやつになる状況だったので、野次馬としては拍子抜けの結末ではあったんだけど。
ファウルを受けたハイニキが、イエローフラッグを見た瞬間に派手に喜んだのがよかった。「ギリギリの状況で、無理なパスに賭けずに意地のダウン甘受」っていう冷静な判断に、思わぬ勝ち確定の結果がついてきてアツい興奮につながった。あのシーンでハイニキが落ち着いていたら、「負けていたチームの選手のミスでのあっけない決着」になってしまう。そうじゃなくて、「ハイニキの冷静と情熱がギリギリのファウルを誘った」と思った方が結末としては面白いわけで、そう思わせてくれたハイニキは役者だな、と。
もちろんハイニキはエンタメ重視のパフォーマンスとして派手にセレブレーションしたんじゃなくて、「シーズン無敗の同地区ライバルを相手に苦しみながらも勝利して、ワイルドカード戦線生き残り」っていうデカすぎる戦果を夢中でゲットして思わず出た反応なんだろうけど、応援したくなるよね。
マンデーナイトの後は、スプラ3の練習したりのんびり過ごして。野次馬観戦した試合が楽しめたので、得した気持ちで午後もいられてありがたかった。こまめに検温したけど、36℃の前半しか出なかったよ(こまめに検温したのかよ)。明日は普通に出勤だ。
11月16日(水) ただのマジメかよ
コールセンターに勤めていて。オペレーターとして電話対応をしてるんですけど。もう20年も続けていて、我ながらウケるみたいな話を3割ぐらいの自虐をまじえて時々したくなる。たいていの人は、正社員になり、管理職になる(オペレーターとして電話に出なくなる)か、会社を辞めてしまう。だけど僕は、同じ会社で20年もオペレーターを続けているんである。
そんな僕がこの3ヵ月ぐらいやってるルーティンがある。電話が鳴ると(着信を知らせる短いアラートがある)、背筋を伸ばして、心の中で「一期一会」って唱えるのだ。
どういうことか。文字通りの意味である。僕にとってはマンネリになってる電話対応も、お客にとっては初めての電話かもしれない(自動車保険の保険請求の受付なので、事故を起こした人が電話をかけてくる)。ひょっとしたら一生に一度の電話かもしれない、という。そのことを電話の前にいちいち思い出す、というルーティン。いや、マジメかよ、と。なんだオレ、オペレーターの鑑なんか。
ところが実際はちょっと違って、そうやっていちいち思い出しておかないと、お客に対して腹が立ったり傷ついたりしてしまうんである。
例えば、「Aのことを聞いたのにBのことを答えられる」みたいなことがよくある。その時に、話が進まないことに焦って、焦ったことの反動で自分を責める、みたいな思考回路につながることがある。お客と話が通じない現実を理解するために、「自分の質問は答えるに値しない愚かな質問だった」みたいなことを考える。そうすると自分がみじめになる。そして、その反動で、そんな気持ちにさせてきたお客を恨めしく思ってしまう。ああ、悪循環。
で、これは「会話がかみ合わない」みたいなことが起きた時に、僕の脳内で脊髄反射的に起きる過剰な自己防衛だと思うんだけど、いちいちお客に対し攻撃的になっていては仕事がツラいので、「一期一会」だとあらかじめ思い出しておく、みたいな。「会話がかみ合わないのはいたって当たり前のことであって、そのことを気にする必要はない」という態度を、いちいち電話の前に思い出すのである。
「会話がかみ合わない」以外にも、「過去に何百回とされた答えられない質問」とか、「過去に何百回とした喜ばれない説明」とかもある。要するに、オペレーターとしてはストレスに感じやすい場面だ。そんな時にも、「一期一会」だと思ってると多少はマシになる。
あれ、やっぱりマジメな気がしてきたな。僕としては、「お客の心情に共感できず、会社への忠誠心もなく一般常識も軽く敵視してるサイコパスなオレ」だからこそ電話に出る前には背筋を正さないとヤバい、みたいなことを書きたかったんだけど。本当にサイコパスだったらお客と会話がかみ合わないでも気にしないかもな。なんだ、マジメなのか。まあ、無頼派に憧れるのは本を読んでる間ぐらいがちょうどいいのかもしれないけど。
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