鯖缶NFL三昧

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NFL観戦日記2022⑨(荒んだ気持ちの方が、はかどる作業もある)

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9月27日(火) 荒んだ気持ちの方が、はかどる作業もある

3時起きで49ers対ブロンコスの観戦と、日記を書くのを交互に。ブロンコスを見るのはこれで3週連続か。AFCへの移籍で、“アンチ”としてラッセル・ウィルソンを見る楽しみが増えた。


ブロンコス、負けてくれるかと思ってたけどなかなかしぶとくて。ディフェンスが強く、パントチームも大当たり。ラッセル・ウィルソンも役目を果たして終盤での逆転勝利。「10対11」って。「サッカーでレッドカードが出た時の人数差」かよ。


朝6時の時点で、リアタイに追いつく。これで情報解禁。マック・ジョーンズのケガはどうなんだ。足首の捻挫、なのかな。手術が必要か検討、とも出ていて、「軽いケガ」というレベルではなさそう。で、どのぐらいで戻れるのよ。3週前後なのか、8週前後なのか。リモートインタビューを伝えるツイートでは、「1日ずつだ。毎日できることをやって、前の日よりよくなるように回復に努める」みたいなよくあるコメント。「これ以上詳しくは、ベリチックコーチに聞いてよ」とも。


はは。ベリチックみたいな受け答えだな。当たり前のことだけ答えて、ディテールを答えない(復帰時期の見込みには触れない)。「○○に聞いてくれ」と、質問者の意気をくじくような答え方。


マックがフィールドに戻れるまで、僕も何か願掛けをしようかな、とかちょっと思った。禁酒とか、禁煙とか、そういう類のこと。僕はもともとお酒もほとんど飲まないし、タバコも10年以上吸ってない。なら、コーヒーを絶つか、あるいはスプラトゥーンか。でも、好きなものをやめるのも違う気がする。自分が取り組んでることのために余計なものをやめる(受験が終わるまでSNSをアンインストールするとか)なら理解できるけど、なんか「マックのために」って違わないか?  変な執着を増やしてるだけな気がする。「HUNTER×HUNTER」連載再開まで毎日感謝の正拳突き、みたいなのならなんとなく分かる気がする。「○○禁止」ではなくて「毎日○○」みたいなやつ。何かちょうどいい願掛けが思いついたら、マックが復帰した時にうれしいんだろうけど、ちょっと腑に落ちるものが見つからなかった。もうちょっと考えてみよう。


登校する子どもたちを順番に見送って、マンデーナイトフットボール。カウボーイズ対ジャイアンツか。あんまり興味をそそられる対戦ではないな。リアタイ観戦はパスして、夕方に40分モードで見るか。だけど、見てみることにした。日記を書きながら見るのである。「はは。NFLなんて、作業用BGMだ。雑に扱ってやる。推しがケガをしたんだ。集中して見ていられるか」みたいなやや荒んだ気持ち。


荒んだ気持ちのおかげで、日記を書く作業自体ははかどったよ。はかどっても、どこに行き着くわけでもない日記だけど。日々のことを、書き続ける。悔しさも、うれしさも、そのまま生で飲み干すと酔いが強すぎる。文章にすることで標本化して、どこかに置いておけば忘れられる。荒んだ気持ちの方が、はかどる作業もあるのか。そうかもしれない。


第3クオーターが終わるころには、日記を書き続けるのにも飽きた。もうこうなったらゲーパスを閉じてもいいんだけど、「ここまできたら最後まで見ないともったいない」と、やはり荒んだ気持ちで観戦続行。


ダニエル・ジョーンズ、足も速いし、フットワークも滑らか。パスの弾道もクリーンに見える。だけど、何と言うか「もってない」印象なのな。もちろんこれは、ジャイアンツの試合をほとんど見ない僕のような素人観戦者の無責任なディスなのであって、ファンなら「嚙み合えば今日からでもTier1だろ」と思いながら見るだろう。でも、今日はまだその日じゃなかったみたいだ。僕の雑な印象があんまり外れてないらしい内容と結末。


午後には、終わらせておきたい用事をひとつ。「終わらせておきたい用事」なんていくらでもあるんだろうけど、その中で一番簡単そうなやつを選んだ。自治体のやってる劇場に、お金を払いに行く(「友の会」みたいなのに入会する)というタスク。子どもたちを招待するクラシック・コンサートがあって、それに当選したんだけど、同行する保護者の分は有料なので、その支払い。


劇場の場所は知ってたんだけど、その劇場のどこで「入会手続き」ができるのかはよく知らない。正面の入口の自動ドア越しに中を見ると、演劇の昼公演の客入れをやっているように見える。その劇団は劇場を利用してる団体であって、自治体の「友の会」とは無関係だろう、と思って一度は正面の入り口を通り過ぎたんだけど、どうも他に入り口が見当たらない。戻って正面から入ることにする。どこかに案内表示があるだろう。


で、キョロキョロしながら入ったんだけど。立ってドアの方を向いていた公演のスタッフの人が近づいてきて、「検温をお願いします」と笑顔で言われて。「友の会に入会できる窓口を探してるんです」と言う言葉がとっさに出てこなくて、「いや、あの…」とモジモジしてしまった。変な間ができて、「検温拒否野郎」のヤバい奴だと思われそう。あわてておでこを突き出して測ってもらって。(ところで、僕は検温は任意でいいと思ってます。測られるならもちろん拒否はしません)


で、引き続きキョロキョロしてる僕に、「チケットはお持ちですか?」と聞いてくれたので、「いや、この劇場自体に用があるんです」とようやく言葉が出た。そこで、検温のスタッフさんも「この人は多少は挙動不審であるものの不審者ではない」と安心したようで、お互いに照れ笑いをして。そうしたら、スタッフの人たちのボスらしき人(50~60歳前後と思われる女性)が出てきて、「事務所は一度出て、奥にあるエレベーターを使ってください」と。よかった。ようやく「友の会」に入会できる。


で、ようやく「事務所」にたどり着いて、申込書を渡して、手続きをしてもらう。会員証を作ってもらってる間、受付のカウンターに貼ってある演劇のポスターを見て。なるほど、これが今やってるんだな。「別役実」とか、「ゴドーを待ちながら」とか書いてある。出た。不条理演劇。20歳ぐらいのころ憧れたよ。


「ゴドーを待ちながら」は、舞台上にいる2人と男が、「ゴドー」をずっと待ってるだけ、という前衛劇。ゴドーは最後まで現れず、それどころか「ゴドー」が誰なのか(というか人なのか、出来事なのか、神なのか、何なのか)も明らかにならない、というシュールな内容で。若いころの僕は「すげえ」って興奮したんだよね。恋愛も、自殺も、心中も、父殺しも、革命も、夢も、笑いも、涙も出てこない。演劇って、感動させることを目的にしないでもいい。「感動を疑う」ことすらできるのが演劇のすごさなのかもしれない、と。


それで、会員証もらって、お金払って。「ああ、用事がひとつ済んだ」と思いながらエレベーターに乗って。通路のベンチに座って缶コーヒーを飲む50歳~60歳ぐらいの男性の横を通って。ひょっとしたら不条理演劇の出演者の人かもしれないな、と思いながら帰路について。


で、自分でもよくわかんないだけど、歩きながら腹が立ってきちゃって。何にムカついたか。「さっきの劇団、50歳超えてまだ不条理演劇やってやがる」みたいなことを思い始めたんである。だって、不条理だぜ? 前衛だからこそ価値があるんでしょ。そうじゃなかったら、ただ意味不明なだけだ。そんなの、やってどうするんだ。どうせ真剣にやってないんだよ。だって、ゴドーを30年も待ってたら、気が狂うでしょ。それは無理だよ。ていうことは、真剣に「待って」ないんだよ。で、真剣にやってないんだったら、なんのための不条理だ。どこがアートなんだ。ただの懐メロだろ? そんなもの、面白くもなんともないだろう。


意味不明なトガった演劇は、若手がやれよ。ベテランは、ヒューマニズムで、センチメンタルな、説教くさいことをやるのが責任でしょ。2.5次元とか、ダサいことやって金を稼ぐのがむしろカッコいいんだよ。まあまあ大きな劇場でやっていて、経験のある劇団なんだろう。だったら、もっとヌルい演劇やれよ、とか。


端的に言えば、僕の嫉妬なんだろう。自分が燃え尽きることもないまま、なんとなく諦めてしまった演劇を、まだ続けている人たちがいる。そのことが、うらやましいんだ。見てもいないくせに、勝手に想像してディスってるんだから、非生産的すぎる。ひょっとしたら、ベテランでも真剣にやり続けてるかもしれないし、人の真剣さを勝手にジャッジするなよ。


帰ってきて、添削の仕事をチェックし直して納品。手持ちの仕事がなくなるのはいつでもホッとするものだ。


9月28日(水) 話が通じるだけで助かるものがある

朝、マック・ジョーンズのリモートインタビューの動画を通しで見る(昨日は概要を伝える記事に目を通しただけだった)。見てみると、ただひたすらに「1日ずつだ。前の日よりよくなるように回復に努める」と呪文のように繰り返していた。これは、見て胸が痛んだな。


「ちょっとユーモア混じりに受け答えて本音を隠したのか」と、最初は想像してた。でも実際に見てみるとちょっと違って、必死に感情を殺しているような様子に見える。もしくは、何も心に入れないように、無感情を貫いてる、というか。


人の気持ちを、勝手に推し量って、感動したり同情したりするのはちょっと違うよな、と思い直した。まあ、「勝手に感情移入してしまう」というのはファンにはよくあることだから、程度の問題かもしれないけど。


会社で、仕事の合間に、マック・ジョーンズのために何か願掛けできないかやはり考える。これは、「マックのために」とか、「彼のことが気になって仕方がない」とかとはちょっと違って、「願掛けのために何かしっくりくるものはないか」という問題の答えが浮かばなくて、それが悔しくて頭を離れなかった、という感じに近いんだけど。


「コーヒーを絶つ」とか「スプラトゥーンを絶つ」とかそういう後ろ向きなことではなくて、もっとポジティブなものはないか。「マックの回復を信じて、それをきっかけにして頑張ってる。俺が頑張ってる、マックも頑張ってる。それはまったく次元も地平も違うことなんだけど、俺の思い込みの中では、俺の頑張りの分マックの回復も早くなる」みたいな思い込みが持てたら、マックの復帰戦がめちゃくちゃ楽しいんじゃないか。


まったく浮かばなくて驚いた。頑張りたいものなんてないよ。あえて言えば、11月に受験するTOEICかな。何だそれ。45歳にもなって、「TOEICを頑張る」って。もっと他にないのかよ。…ないんである。かと言って、自己ベストを更新しようと思ってTOEICを受験する自分のことを僕は笑うつもりもない。スコアが出ないものを頑張るのは、よほどの天才かバカじゃないと無理だ。「誠実に生きたい」「賢くなりたい」とか、そんなこと頑張れないよ。頑張る方法が分からなすぎる。TOEICは、少なくともスコアが出るでしょ。中年になってから、マラソンとか筋トレにハマる人の気持ちが分かる。


いろいろ考えて、「エスカレーター使用禁止」にしようとようやく思いついた。運動不足解消のために、エスカレーターでなく階段を使う。これなら、自分でも「やりたい」と思えるし、適度に罰ゲーム感もあって、マックの復帰がうれしくなるだろう。階段を上ってる時に、「マックがんばれ」と思い出せる感じもいい。


家に戻って、友達に連絡を取ろうと思い立った。TOEIC受験の時に会社を休んで、午後がヒマになる。日曜は妻が子どもたちを見ているので、どこかに遊びに行っていいと言われてたんだった。もう、2年半以上も誰とも会ってない。コロナ禍の最初の頃、緊急事態宣言が出て麻雀の約束をキャンセルしたんだった。あの時は、それから2年以上も誰とも会わないなんて想像してなかったな。


「不要不急の外出を自粛すること」をかたくなに守ってたわけではないし、去年からは家族旅行にも行ってる。だけど、なかなか友達と会う気にならなかった。僕は飲みに行っていいと思ってるし、家に来てもらってもいいと思ってるけど、友達はどう思ってるか分からない。例えば4人で会うとして、マスク外す奴とマスク外さない奴とがいて、気まずい感じになったら嫌だな、とか。いや、本当は全部どっちでもいいんだけど、気を遣ったり、遣う方向を間違えたり、気を遣われたりするのが面倒で、そんなことを考えてるうちに「まあ、もうちょっと状況が落ち着いてからでいいか」みたく友達と会うのを先延ばしにしてきた。会う段取りを組むのをサボってしまう。だけどそろそろ、その一歩を踏み出してみてもいいかもしれない。


で、古い友達に「11月ヒマな日あるんだけど遊ばない?」みたいなメールを作りかけて、やっぱり途中で面倒になっちゃったんである。メッセージ送って、それが帰ってきて、また送って、みたいなのがダルい、というか。

 

ちょっと寂しく、情けない気持ちになってきた。この程度のことを面倒がってるうちに、僕は人生の残りをウジウジとすり減らしていくのか。嫌だなあ。でも、きっとそうなんだろうな、と。ここで、発想の転換が起きた。そうだ、電話をかけてやれ。それなら、面倒じゃないよ。電話、すぐ通じた。この2年半、いつでもかけられるはずだった電話。あっさり通じるのかよ。

 

「もしもし。いや、まったくシリアスな用件とか何もなくて。誰も死んでなくて。ちょっと、不条理演劇っていう言葉が通じる人に聞いてもらいたい話があってさ」と、昔の演劇仲間に昨日のことを話した。僕が、大人になっても演劇を続けてる人に嫉妬してること。その嫉妬を客観視してツッコミを入れられる程度には落ち着いていること。とにかく、無事でいること。


10分ぐらい話して、結局会う約束はせずに電話を切って。うれしかったな。「話が通じる」というだけで、自分という存在が肯定される実感がある。それを思い出せただけで、今日は十分だよ。「会うのが面倒、会う段取りを組むのが面倒な自分」は確かに心配だけど、それも仕方ない。「こんなこともできない」と落ち込んでも、そんなの普通のことだ。「この程度のことで落ち込むなんて」と、ガッカリを倍増させなくてもいい。


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