鯖缶NFL三昧

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NFL観戦日記2022㊲(あとがき)

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2023年2月某日

NFL観戦日記2022。シーズン開幕の頃から書き始めて、ほぼ毎日書き続けた。それで、week12の時点で「最終回」を書いたんだけど。シーズン真っ只中、というかなんなら「これから本番」というタイミングで終わらせるのが「アリ」なのかどうか自分でも分からず、「あとがき」を書こうと何となく決めていた。さあ、書いてみよう。week12以降、僕とNFLに何が起きたのか。


12月。1年のブランクがあった映像翻訳の仕事。やっぱり想像より大変だった感じもあるし、割となんとかなった感じもある。それまで朝4時起きだった生活を、朝3時起きに変えた。会社勤務の有給も使って作業時間を増やした。スケジュールがタイトすぎるとイライラしてしまう。そのイライラを子どもに向けてしまわないか怖かったので、ちょっと慎重になって、多めに時間を取ったんだ。


それで、ストイックに、熟練の職人のように仕事に取り組んだかと言うと、大変情けないことに、相当ダラダラとしかできなかったような。タイマーを6分にセットして、「6分×2ターン仕事したら、次の1ターンはマンガを読む」というルーティン。我ながら、「なんだそれ。マンガ読まなければもうちょっと睡眠時間確保できるだろ」と思うんだけど、これが一番慣れたやり方だから仕方ない。なんというか、「サボり」をあらかじめ「仕事」に組み込んでおくことで、「本格的にサボりに入ってしまう」のを避ける手順なんですよ。「サボりたい気持ち」を排除するのではなく、むしろ、サボりたい気持ちを仕事の燃料にしてしまう、というような。


テンションとしては相当ダラダラしてたけど、でもトータルで考えると結構丁寧に仕事をした自覚がある。翻訳の参考にするために、本を3冊読んだ。これは、「必要最低限よりも一歩積極的に仕事をしたな」と感じた。そして、その積極性のおかげで、ちょっと楽になった面もあるな、と思った。


どういうことか。本を読むと、検索した情報だけでなく、周辺の情報も合わせて得ることができる。翻訳の仕事に即して言えば、「あるワードをどう訳すか」と言う時に、「ググって出てきた訳語」と「その訳語でOKなのかの確認」ぐらいまでは検索した方が早いけど、「そのワードの使われ方(組み合わせのいい形容詞や動詞とか)」や「背景にある考え方」なんかを本を読むとまとめてチェックできるので、遠回りなようでいてそんなに効率も悪くない、というような。(背景が理解できれば、誤訳の可能性も減らせる)


「ワードの理解」「ワードの使われ方の理解」みたいなことだけじゃなくて、「理解したことを伝えたい」という、積極的な気持ちになれたことで、翻訳の作業に集中できる時間帯が増えた、というような実感もあった。「訳したい」と思いながら訳した方が、楽なんだ。(本を3冊読んだ程度で理解できる広さや深さなどたかが知れてる、というツッコミもあるかもしれない。まあ、気分の問題です)


「気持ち的に積極的に仕事をした方が、結果的に楽」などと思えるのは、単純にやや納期に余裕のある仕事を引き受けたからであって、それはよかった。1月にも仕事を受注して、同じように積極的にできた。ブランクの影響はあまり感じなくて、それもすごくうれしかった。仕事を受けるのも、休むのも、自信を持って選べる気がするから。


さて、その間にも、NFLはなんとか見てたんである。week15。僕の10年間のNFL観戦歴の中でも、もっともツラい1日だったな。ペイトリオッツ対レイダーズと、バッカニアーズ対ベンガルズがレイトゲームの時間帯で被ってたので、「追いかけ再生で、2ドライブずつ交互視聴」っていうナゾの方式で見たんだけど(※どちらか1試合を最後まで見ると途中でスコアのネタバレが入ってしまうので)。ペイトリオッツも、バッカニアーズも、トラウマ級のひどい負け方だった。


ペイトリオッツは後半ディフェンスがよくアジャストして一時は逆転に成功。7点リードでの第4Q2ミニッツ、エンドゾーンを守り切れば勝利という状況で、4th&10まで追い詰めたのに、そこから逆転負け。レイダースの同点TDパス、アウトオブバウンズにも見えたけど、レビューの結果覆らず。めちゃくちゃ長いレビューだったな。状況証拠的には(体の勢いとか)足がわずかにアウトオブバウンズに触れている雰囲気だったんだけど、判定を覆すに足る明確な映像がなかったんだろう。ペイトリオッツのラストプレーは、想像の限界を突破したミスで、混乱の中相手ディフェンダー(チャンドラー・ジョーンズ)にボールをパスしてしまうという珍事。「真剣にやってるからこそのコントの極致」が、最悪のタイミングで起きてしまった(コントとしては最高なのかもしれない)。


バッカニアーズは、ベンガルズを前半攻守で圧倒して、2022シーズンベストの内容だったところから、後半はあらゆる種類のターンオーバーをプレゼントして(よく覚えてないしゲーパスで確かめる気も起きない)の逆転負け。


この2試合を連続で見たら、魂を抜かれたような状態にならざるを得ない、と言いますか… 「こんなツラい思いをするなら、もうNFL観戦を続けるのは、ムリかもしれない」みたいなことをリアルに思った。


そして、week17。この日は逆に、僕のNFL観戦歴の中でも、最高の1日になった。ひょっとしたら、スーパーボウルを超えていたかもしれない。この日は、ペイトリオッツ対ドルフィンズ、バッカニアーズ対パンサーズを「リアルタイム同時視聴」したんだ。これは、今までにない視聴体験だった。もちろん、試合の細かいニュアンスは分からない。でも、しょうがない。もともと細かいニュアンスなんて分かってないんだ。


ペイトリオッツは、負けたらシーズン敗退決定、勝てばweek18に第7シード確保の自力維持。バッカニアーズは負けたら地区首位陥落(week18に可能性は残るけど他力になる)、勝てば地区優勝決定(第4シード確定)。それぞれ「がけっぷち」の1戦である。


思えば、僕のペイトリオッツ&ブレイディ応援歴の中で、レギュラーシーズンの最終盤にプレーオフ出場を確定させていなかったのは、2020シーズンのペイトリオッツだけなのである。でも、2020シーズンはバッカニアーズがプレーオフに残ることは決まっていて、ペイトリオッツは早めに敗退が決まっていた。


今季のように、「当落線上」という戦いを応援するのは初めてだった(誰に謝っていいのか分からないけど、なんか、すみません)。これは、まあ、ものすごくハラハラしますね。もちろん、プレーオフになったら一発勝負のトーナメントなので、「負ければシーズンエンド、勝てば上のステージ」という戦いは見たことがあったんだけど、プレーオフに出ている時点で十分な戦果は挙げている納得感はある。そう思うと、week17、18の生き残りは、ある意味プレーオフ以上の緊張感があった。


その緊張感が、2試合同時、なんである。これは、尋常じゃない。手汗が止まらない試合だ。花粉症のピークで出る鼻水ぐらい、大好物を目の前にした腹ペコの犬のヨダレぐらい、親友のために主人公が秘密を守る話を読んだ時の涙ぐらい、手汗が止まらない。


ブレイディが2020シーズンに移籍して以来、バッカニアーズの試合は毎週、毎スナップ見てきた。ブレイディの抜けたペイトリオッツも、毎試合見てきた。移籍時点ではなんとなく、2019シーズンまでのペイトリオッツへの応援度数を「100」とすると、2020シーズンにはペイトリオッツを「65」、バッカニアーズを「35」ぐらいの熱量で応援するのかな、みたいなことを想像していた。


それがフタを開けてみると、ペイトリオッツへの応援度数は「100」のまま、それにバッカニアーズへの応援度数が「85」ぐらいで加わる感じだった。それが、2022シーズンになって、ペイトリオッツ「100」バッカニアーズ「100」みたく、両チームをほぼ同じ熱量で応援してることに気づいた。プレーオフ当落線上のブレイディを、「負けないでくれ」と思う気持ちがプラスされたんだと思う。


その両チームのシーズンクライマックスを、同時に見るんである。ちょっとそんなの、パニックになるじゃないか。今まで味わったことのない緊張感。


そして、この2試合が、(内容はよく分からないけど)シビれる逆転勝利だったのである。後半、ペイトリオッツはカイル・ダガーのピック6で。バッカニアーズはエバンスへのロングパスで逆転。それぞれ、一瞬の出来事だった。そして、第4クオーターのラスト。「あと1回ドライブを止めたらだいたい勝ち」という状況になった。ペイトリオッツはドルフィンズを4th&16まで追い込んで、更新を許さずに止めた。バッカニアーズは、ストリップサックからのファンブルリカバーで、パンサーズ陣内10ヤード以内でのボール確保。この、「2つの勝利当確プレー」をほぼ同時に見た時のカタルシスたるや。望み通りのことが目の前で起きたのに、呆然として開いた口が塞がらない感じ。


この2試合の、本当の勝利確定はそれぞれオンサイドキックをちゃんと抑えたタイミングなんだけど、それも連続で見て。ある意味スーパーボウルを超えた緊張から、2試合分同時に解放された瞬間だった。


呆然としながら、「これだからNFL観戦はやめられないぜ」みたいなことを思ったけど、同時に、「なんでオレはこんなものを夢中になって見てるんだ」というような虚しさも最大クラスで訪れているわけであって、その時間まで含めて、濃密な3時間だったな。まあたぶん、もう2度と経験しないでしょ。2チームを相当な熱量で応援して、その2チームともが超重要な試合を、同じ時間帯に逆転勝ちする、といういくつもの条件をクリアしないと味わえない。


…「あとがき」として、ちょっと「後日談」を付け加えるだけのつもりが、長くなってしまったのでこの辺でおしゃべりはおしまいにします。


当初、9月にこの日記シリーズを書き始めた時には、NFLの情報や解説をチェックして、NFLにもっと詳しくなるためのメモ、みたいなことも想像してたんだけど、実際は逆だったな。「NFL依存症の克服記録」みたいになった。会社でのイライラも、街を歩く時のウジウジも、子育て自慢もサブカルの感想も、日記上の優先順位をつけずに書いた。僕が、「人生」に圧倒されたままで、なんとか正気を保とうと耐える日々を、日記を書くことで反芻した。僕は結婚してからでさえ、「何が大切で、何が大切でないのか」に優先順位が決められない「整理のつかなさ」を、思春期のように感じながら生きてきた。「何が大切なのか決められない」なんて、のん気で贅沢な話だ。でも、それが実感なんだから仕方がない。子どもが生まれたばかりの頃は、さすがに子どもと妻の安全が最優先だったけど(今ももちろんそうなんだけど)、子どもが大きくなってきて、手がかからなくなってくると、常に気を張ってる必要はなくなるわけであって。「何をどう受け止めたらいいか分からなくて呆然とする」みたいな時間帯が、また僕の人生に増えてきた感じがある。

 

それで、NFLにハマったのかもしれない。だってNFLは、「成功」と「失敗」が残酷なまでに可視化されてる。全部の試合が重要で、全部のドライブが、全部のスナップが重要だと、その因果関係がハッキリしてる。チームの隅々まで作戦の意図が伝わっていなければ、それは簡単に露呈する。その一連の流れを見てる間は、自分の頭がスッキリしたような気がして、快感なんだ。それで、見続けてしまう。でも、頭がスッキリした感覚なんて、たぶん錯覚だ。スッキリしてるのは画面の向こうのアメフトの勝ち負けだけだ。こっちの世界は相変わらず、モヤモヤと、ウジウジとしたままなんである。


コロナのせいで(というかそれによって可視化された「この世の体たらく」への失望で)、僕の「落ち込みやすさ」や「ものぐさ」が加速したこの3年間。それでも、一方では人生最高の日々だった、という思いもあったりする。物理で習う「作用・反作用の法則」みたいに、世界が僕を落ち込ませようとする度に、どうしてか僕の中にある楽観性が、それを押し戻してくれることを実感することが多かった(なんて幸運なんだろう)。「このろくでもない、すばらしき世界」に住む、「このろくでもない、すばらしきオレ」だ(前向きですよね)。


また1シーズンNFLを最後まで見届けられた。幸運に感謝してる。


(おしまいです。最後まで読んでくださってありがとうございました!!)

 

 

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