鯖缶NFL三昧

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NFL観戦日記2020:week13①(053)

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2020年12月5日(土)

大学時代のサークルの「50周年記念誌」が届いていたので、軽く目を通す。去年の冬に話を聞いて、その時はどちらかというと「くだらない」と思った。「同窓会」とか「OB会」とか、キモいんだよ、なんで昔の人間関係をわざわざキープしようとするの、それって、当時の権力関係を温存させたいだけじゃない、みたいな。いまだに中学2年生みたいなことを感じて、「関わりたくないな」とか反射的に思った。


でも、原稿依頼は引き受けた。「恩師の思い出」みたいなの。今年に入って、3月末にその原稿を書いて、書きながら泣けてきた。僕はその頃が一番コロナが怖かった。「先生、大切な思い出をありがとう」みたいなテンプレの内容を自分で書いてるうちに、寂しさと、当時の仲間への郷愁の両方が身にしみた。まあ、こういうテンプレが時には必要なことも分かる。人のつながりをバカにしちゃいけない。(幹事の皆さまおつかれさまでした)


で、その時のが一冊にまとまって届いた。中をパラパラと見て、驚いた。僕以外の寄稿者は、「○○大学教授」ばかりじゃないか。油断していたので、激しく嫉妬する。チクショウ、何かを成し遂げやがって。自慢するなよ、と。15秒経てば、誰も自慢なんかしていないと分かるんだけど、その瞬間だけはしょうがない。


そのまま本棚に隠すように置いてしまった。いつか偶然読むのかな。どうせちょっとは泣くんだろう。


将棋教室に子どもたちを連れていき、カフェで読書。いとうせいこう「ノーライフキング」読了。めっちゃ面白いんだけど、何が面白いんだか全然分からない。「昭和63年の作品とは思えない。今読んでも全然新しい」みたいな、陳腐なことしか言えない。


「ゲームと現実の見分けがつかなくなる」って、「警鐘」的な意味合いでよく言われて、それこそもはや陳腐化してる。「ゲームの中でこんなに人を殺してたら、現実でも人を殺していいと子どもは思ってしまうのでないか」って、ちょっと「怖がり方」としてはピンボケしてるような気がする。どこまでいっても、ゲームと現実の見分けはつくよ。


そうじゃなくて本当に怖いのは、「現実なんてもう必要ないんじゃん」ってことに気づいちゃうのが怖いんじゃないか。「もう、ゲームの中で敵をたくさんぶっ倒してるから、現実なんてどうでもいい」っていうのが怖いんじゃないか。むしろ、現実なんてどうでもいい、という現実に気づいて、それを克服していかないと、生き残れないんじゃないか。なんか、そんなことを小説を読みながら思いました(まあちょっと何を言ってるのか自分でもよく分からない。悔しいなあ)。


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ノーライフキング (河出文庫)

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将棋教室の終わりの時間。迎えにいく時に、僕は教室の出入り口から一番離れた場所で待つんですね。「密を避ける」っていう意味もあるんだけど、コロナ時代の前からそうしていて。なんでかっていうと、子どもが親のところに戻ってくるまで、一歩でも長く子どもの判断で歩いてきた方が成長するんじゃないか、っていう、一種のおまじない的な判断なんだけど。


換気のためなのか、教室のドアは少し空いていて、中から先生の声が聞こえる。「今週の昇級者」を発表してるんだ。僕は、朝から卑屈になっていて、「よその子が昇級するときに、それをやっかんでることを、子どもに気づかれたら嫌だな」みたいなことをなんとなく思ってる。


子どもたちが出てくる。僕はその場では何も聞かずに、「マンガ買うんだよね。本屋に寄って帰るよ」と伝え、歩き出す。しばらくして娘が、自分はダメだったけど息子が昇級したことを教えてくれる。娘は14級で、2歳年下の息子は13級から12級に上がったんだ。「もう、追いつきたかったのに、離されちゃったよ」みたいな言い方で。


この流れ、めっちゃエモくないですか。年下の息子は、自分が昇級してうれしいのに、それを黙ってて、悔しがってるはずの娘が平気そうにそれを伝えてくる、と。よしよし、2人とも、よくやってるよ。将棋はさ、年とか関係ないから。年上に勝ったり、年下に負けたりしながら、何かを学んでくれ。


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