鯖缶NFL三昧

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NFL観戦日記2022⑭(面倒だけどちょっとだけ楽しい)

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10月7日(金) 面倒だけどちょっとだけ楽しい

勤務中、今日の夕飯をどうしようか考えてて。この前、バランスの取れた食事」を検索してたらエバラのサイトにたどり着いて、そこの記事で「レンチン野菜」「切るだけ野菜」「葉物野菜」を組み合わせる、みたいなの紹介してたな、と思い出して。「チンするだけ」「切るだけ」みたいなキャッチコピーで「面倒じゃないのにバランスアップ」を心がける気になるのがちょっと威張ってなくていいな、とか思いながら献立を考えた。メインは生姜焼き、キャベツすでに千切りされたパックを買ってある。トマトは切るだけ、かぼちゃはレンチンするだけ。娘がキノコ類好きじゃないから避けがちなんだけど、なめこのみそ汁は食べるから、みそ汁はなめこにしよう、と。

 

「あれ、オレってば、献立考えるのちょっとだけ楽しんでないか?」と気づいて驚いた。もちろん、面倒に思う気持ちも大きいんだけど、「楽しい」もちょっとだけ混ざってる気がする。あれか、ファンタジー・フットボールのラインナップを考えるのと似てるのか。手持ちの選手でやりくりして、ちょっと新しい選手仕入れてきて、組み合わせて。面倒なんだけど、まあ、ギリギリ楽しい、みたいな。違うか。


8月の半ばから、キッチンのIHクッキングが不調だった。7分ぐらい加熱を続けるとスイッチが勝手に切れてしまう。本当なら、すぐに点検なり修理なりを頼まないと直りようがないのに、面倒で放置してしまって。カレーなんかを作る時は、5分ぐらいで一度加熱をやめて、少し休ませてから加熱を再開する、みたいなアホなことをしなくちゃならない。短い加熱時間で済む炒め物とか、電子ケトルでお湯を沸かしてレトルト食品を温めてごまかしてきたんだけど(電子レンジと魚焼きグリルは無事だったので、何とかなった)。


それが、少し前からIHクッキングの不調が解消してた。加熱を続けても何も問題は起こらない、「普通に献立を考えてもOK」な状態に戻ってた。それもあって会社で夕飯の献立を考えてたんだと思うんだけど、それを「楽しい(かもしれない)」と思える精神状態になってはじめて、「あれ、ひょっとしたら、オレって今までツラかったのかも」って、気づいたんだ。


何かツラいことがあっても、対処するのが面倒だと「その程度のこと、大してツラくないし」みたいに自分を操縦してしまう(状況を変えるんじゃなくて、我慢してしまう)。これぐらい平気だ、という自己暗示は、短期的には合理的なこともあるから必ずしも悪いことだとは思わないけど、それが常態化してしまうと、「自分がツラい思ってることにも気づかなくなって、抜け出そうとしなくなる」ことがあるのかもしれない。僕は、ものぐさで出不精で引っ込み思案だから、割と何でもすぐに諦めてしまう傾向がある。結構意識して気をつけないといけないかも、と思った。


その続きで、マンガの「きのう何食べた?」のことを思い出して。主人公のシロさんは、料理が好きなんだ。その「好き」の描き方が優しいんだよな。誰かと料理対決をするわけでもなく、趣味として極めるためでもなく、ただ「毎日やらなくちゃいけないこと」を「工夫してキッチリ終わらせる」。そして、それを楽しんでる。毎日続けられる範囲の手間、時間、予算で、自分で納得できる料理を作ることで、心がすっきりと落ち着くんだ。彼にとっては、そのことがものすごく大事なことで。そんな毎日をシンプルに描くマンガ。


いいマンガなんだよな。ゲイのカップルの日常を描くんだけど、「ゲイとしての生きづらさ」にストーリーの焦点を合わせるわけでもなく、かと言って無視するわけでもない。その絶妙な塩梅が優しいのよ。誰にも、その人なりの「生きづらさ」はある。それは尊重してほしい、踏まえてほしい。でも、そのことで同情されたり、勝手にわかったつもりになられたりはイヤじゃないですか。

 

そのことを誰かに話したいんだけど、ちょっとパーソナルな実感も込めて話したいから、職場の同僚じゃなくて、友達に話したかった。それで、仕事が終わってから昔の友達に電話をかけた。ひょっとしたら10年ぶりの電話かもしれない。前いつ電話したか覚えてないや。


「特に急ぎの用件はないんだけど、今5分ぐらい話せる?」「オレ、コロナ禍ってこともあって、この2年間で3000冊ぐらいマンガ読んだのね」「その中で、たぶん一番好きだったマンガが、「きのう何食べた?」なんだけど」「ドラマ化もされてるし、タイトルは聞いたことある?」「日常を描くマンガなんだけど、何がすごいって、季節に合わせて主人公たちは年を取っていくのよ」「アラフォーから、アラフィフに。その過程で、人生への向き合い方、というか、人生のいなし方、というか、少しずつ変わっていくんだけど」「その描き方が、優しいのよ」「次いつ会えるか分かんないけど、会うまでに読んどいてくれない?」とか。そんな風に話して。会社出てから、駅に着くまでの間だけ話して。


近況報告もロクにしなかったけど、話せてよかった。Kくん、用事はなくても、お酒飲まないでも、ちょっとしたことを話せたらいいな、って思ってるよ(今日まで忘れてたけど)。「中年としての生きづらさ」については、別に話さないでいいし話したいわけでもない。でも、それを踏まえて話したいと思ってるし、話せる気がしてる。分かる?

 

帰宅してから、45分昼寝して。サーズデーナイトのコルツ対ブロンコスを観戦(丁寧に料理作らないのかよ)。もうweek5なのか。というか、マンデーナイトからのインターバルが短すぎて、なんの整理もできないままシーズンを見続けてるバッドトリップ感を、毎週思い出すんだよな。

 

これは、もう苦しい試合で。マット・ライアン、延々とブロンコスのパスラッシャーにいじめられ続ける。破れかけのポイで金魚すくいをやらされてるようなシーンばかりで。ようやくパスが通っても、タックルが正確でゲインが抑えられちゃう。ウィルソンの方が比較的ボールを動かせてたと思うけど、エンドゾーンまで行けずに、こちらもフラストレーションがたまる展開。スタジアムからも、ため息が聞こえてくるような雰囲気で、次第にため息がブーイングに変わっていくような。僕の感覚では「もうちょっと辛抱強く応援して盛り上げてやれよ」という気もしたけど、ファンとしては、ここまでの流れっていうものがあるんだろう。


結局、第4クオーターの最後でも、オーバータイムの最後でもウィルソンは決めきれず、タッチダウンなしの結末。カタルシスなんて訪れない。アンチクライマックス。コルツは、屈辱に耐えてギリギリ踏みとどまった。人生かよ。(ギルモア視点では最高のカタルシスなのかもしれないけど)

 

10月8日(土)怖かったものが、好きなものになることもある

添削の仕事を2時間分。2時間分と言っても、途中ダラダラとマンガを読んだり、インターバルを挟みながら午前中かけてやった感じ。午後はたっぷりと昼寝して。


夕方から家族で歩いて出かける。動物園が夜までやってるイベントデーだった。「夜行性の動物などは、普段より動く姿を観察できるかも」と子どもたちを誘ってみる。実際のところ、暗すぎてあんまり見えなかったんだけど。ガイドさんが赤い色の光の懐中電灯で動物を照らすんだけど、ガイドツアーにはなんとなく気おくれして加わらずに、そこからは離れて、今までの知ってる動物園とは違った雰囲気だけ、味わって散歩した感じ。


彫刻館では彫刻がライトアップされていて、陰影が極端に強調された、いかにも「アートでござい」っていう雰囲気(いや、揶揄するつもりはないんだけど)で。娘は結構熱心に見てたな。絵を描くのが好きなので、感じるところがあるのかもしれない。小さい時、娘は彫刻をすごく怖がってたけど、あれはアートへのセンサーがあったから、迫力を感じて怖かったのかも。息子は、はじめて海を見た時にすごく怖がって。少し大きくなったら海の生物を図鑑や水族館で見るのが好きになった。まあ、あんまり関係ないかな。でも、怖かったものが好きなものになるのっていいな。


帰りは、ケンタッキーフライドチキンを持ち帰って(丁寧に料理作らないのかよ)。「久しぶりに食べたいね」みたいな話をしてから、半年ぐらい経ってたのを思い出したんだ。また、半年後ぐらいに「そろそろ食べたいね」って話したいな。

 

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